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about乱筆乱文など

サル【上】

  2003/8/47月 7th, 2022コメントなし

それはあまりにも突然なことで、皆さんにはどこから話せばいいのかと、僕にもよくわからないのですが。そうですね、とりあえずあの忌まわしい午後の出来事、あの忌まわしい人物が、僕の平和な日常に侵入してきた時のことから話してみましょう。
お金持ちと呼ばれるような財産は持っていません。正直な話、定職も持ったことありません。でも幸いなこと、曲がり角にある電気屋さんのご好意により、店員のバイトをさせてもらっていて、生活に困ることもありませんでした。彼女とのデート代とかを賄うのはややキツイと思う時もありましたが、大した問題にはなりませんでした。しかし、今はただ思い出すだけで気持ちが悪くなるあの午後、そんな平凡な自分を満足している僕の前に、あの怪人、いいや、あの怪物が現れました。



電気屋のご主人は急な用事があったので、あの日の僕は予想外の休みを貰えました。電話でもして、彼女を誘い出そうと思いましたが、仕事の邪魔だと言われそうなので控えました。映画でも見に行くかと考えたその時、あの呪われるべきチャームが鳴り出したのです。
僕の部屋のドアには覗き穴がありません。まあ自分も慣れているからそんなに気もせず、いつものように直接ノブを回し、ドアを開けました。すると、部屋の外に繋ぐ隙間から、あの悪魔が堂々と構えているのを見てしまいました。アイツは僕より一回り大きく、肩幅は僕の二倍もあるように見えますが、体重はもしかして僕の四倍もあるかも知れないんです。僕は思わずこの大男を見上げてしまいました。男の脂肪のたっぷり含んだ顔はてかてかと光り、その上に配置している糸目とちょこっと生えた口髭が、なぜか妙な圧迫感がありました。
「ここで何してんだ?」
変な大男はいきなり訳のわからないことを口にした。それはこっちのセリフじゃないかと思ったんですが、その迫力に圧倒されて動揺した僕は、うまく言葉が出せなかったんです。
「さあ、わしと一緒に家へ帰るんだ!」
「はあぁ?」
この人は何を言ってんだんだろう…僕の家はここだけど。
「このバカ猿、ちょっと油断しただけなのに、こんな所まで逃げてきやがって。」
猿だって?
僕は確かに少し痩せているけれど、赤の他人にここまで言われる筋合いはないと思います。本当に失礼なやつだ。
「人間みたいな格好をしていたら、誰もお前がサルだということがわからないと思ったのか?このバカ猿が。早く家に戻れ!」
暴言を吐きながら、あのブタは僕の右腕を鷲掴みにし、僕を部屋の中から引きずり出そうとしていました。
「冗談じゃないよ!」
僕は力任せにアイツの手を振り払いました。
サルサルって何だよ!失敬な!」
僕は素早くドアを閉めました。アイツがドアノブを掴み損ねたお陰で、醜い縺れ合いでエネルギーを使わずに済むことになりましたが、今度はチャームをしつこく押してきたのです。チャームの音が虚しく鳴り響き渡りました。
「このバカ猿め!何をするんだ!二本足で立てれたら飼い主のことも無視できると思うのか?早く出て来い!バカ猿!」
チャームの音と共に、耳障りな叫び声もいつまでも続いていました。しばらくすると、音も声もだんだん静まり、さらに一、二分間経ていたら完全に聞えなくなりました。せっかくの休みなのに、こんな不愉快な嫌がらせに遭ってしまい、本当に気の滅入る話でした。でもまあ、サルサルと呼ばれていて確かに腹立ちますが、心のどこかでやはりこの気違いデブを同情していました。
気分転換でもしようかと思い、彼女にメールを出しました。仕事終わったら、行き着けの喫茶店で軽く食事でも、と。もちろん、今日の出来事を誰かさんに話したかった気持ちもありますが、とりあえずあの時はただ無性に彼女に会いたかったんです。約束の時間まではまだかなり余裕があったので、僕は先に本屋へ寄ってから行こうと決めました。机の上から部屋のキーを取り、ラフな格好で僕は出かけました。
本屋に入る途端、すぐ店員からの奇妙な視線を感じました。まるで僕が万引きでもするような、うたぐる視線でした。当時僕はあまり気にしていなかったのですが、今にしてみれば、異変はあの時に既に始まっていました。あたかも珍しい骨董品や奇獣を見た視線で、上から下へ、また下から上へ僕を見計らっていたようで、実に気持ち悪い感じでした。本を立ち読みしていた間に、あの視線は何回も何回も僕の背筋を刺し、しかも間隔も回数が重ねているうちに短くなってきた感じがしました。
ちくちく。ちくちくちく。ちくちくちくちくちく。
地味だが精神的な不快を与えてくる視線の攻撃に耐えきれず、僕は本を棚に戻して本屋から飛び出しました。しかし喫茶店に向かう途中でも、同じ視線が僕を追っかけてくるようについてきました。慌てて喫茶店に入り、少し落ち着けると思いきや、またウェイトレスから同じ視線に見られました。唯一の救いはあの日店には客が少なかったことでしょう。やがて頼んだ紅茶がきて、付きまとう視線による疼きを、その暖かさで少しだが和らげることができました。あとは、彼女が来るのを待つだけです。彼女に言いたいことは山ほどあります。
だが、閉店になっていても彼女は姿を現しませんでした。電話もメールも何の連絡も無く、僕のかけた電話も出ずに。
翌日、散々とした昨日を引きずりながらも、僕は朝早く電気屋さんに出勤しました。できれば胸の鬱憤を仕事で晴らしたかったのです。
「何しに来た?」
昨日に続いてまた訳のわからない質問にぶつかられました。しかし今度の相手はいつもお世話になっている電気屋おやっさんでした。
「バイ…バイトに決まってるじゃないんですか!どうしたのおやっさん、いきなり。」
「バイト…?」
狐につつまれるような顔のおやっさんは僕を見つめ、
「お前は…ここにどれぐらい働いてたんだ…?」
「そうですね、一年ちょいぐらいはありますけど…どうかしました?」
「そう…」
おやっさんはその白髪のかかった頭を傾げ、不思議なことを口走りました。
「お前もすごいな…ここに一年もいたのに、ワシはお前の正体を全然気付かなかったよ。」
「はあい?」
正体って…何の話でしょう?僕はさっばり見当つきませんでした。
「でもうちは商売を営むところなので、お前は確かにできはいいが、やはりサルを雇うわけにはいかないな…まあ、お前はサルだったことはちっとも気付かんワシが言うのもなんだか。」
「お、おやっさん、これは一体何の話?」
「うちはサルを店員として雇えないことだよ。」
「でも僕はサルじゃないんですよ!」
「お前はサルじゃないだって?人間様を騙すのはもうよせ、タナカさんから全てを聞いた。お前はタナカさんの飼いサルだろう、早く帰っていきなさい、タナカさんは心配しているぞ。」
「タナカ…?」
あの物狂いのデブのことか?いや、アイツは間違いなく気違いだったぞ!あんな奴のでたらめをどうしておやっさんが…?
「早く帰れ!」
おやっさんは横に置いてある箒を手にして、僕に向かって脅しかけてきました。
「早くご主人様のもとに帰れ!」
と、いつも優しく接してくれたおやっさんは、ものすごい形相で襲い掛かってきました。「僕はサルではないんです!」という僕の叫びも、全く耳に届けないようでした。
誠に不可解な話でした。僕は僕で人間のままのはずなのに、おやっさんの目にはそのように映っていなかったみたいです。まさかあのデブ、僕に追い払られたあと、町中に僕はサルだというデマを言いふらしたとでも…?いや、いくらおやっさんはお人よしでも、こんなバカな話を本気にするなんて、とても信じられないんです。だいだい人間とサルの差ですよ、言われてみればああそうだったって、納得できるようなものではないと思いますし。
さらに恐ろしいことに、前の日で感じたあの刺々しい視線は躊躇いもなく、おやっさんに店内から追い出され、うろたえる僕に向かって刺してきました。おかしい、一体何があったんだ、そして何なんだこれは…数多い疑問が浮かび上がり、見られている窮屈さに圧し掛かられた僕は、本能のままに隠れ場所を探し、くるり電気屋のすぐ傍にあるパン屋に入りました。
(つづく)

elielin

数年前は東京でアニメ制作進行をやってた台北在住の台湾人編集者です。おたくでもギークでもないと思うけど、そう思っているのがお前自身だけだと周りから言われています。時々中野区に出没。

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