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乱筆乱文など

中国語マンガにおける注音の扱い

  2005/3/167月 7th, 20224 件のコメント

先々週仕事と私用があって日本に行ってきた。急に決まったことなので、かなり慌しいスケジュールの中、なんとうちの雑誌を素材にして研究しているid:Mattsunさんと会うことができた。専門はプログラム開発の大学生で、学校では中国語を学んでいるようだが、基本的に簡体字しか教われていないので、繁体字が壁に這うツタのように覆ううちの雑誌を読むには、繁体字を自力で独学し、力技で読み通していたそうだ。すみません。
今日はその彼と会う前に、メールやり取りした「(中国語)漫画における注音*1の扱い」について、もう一回整理し少し書いおこうと思う。

注音の扱いについて①
 現在の中国語マンガにおける、注音の扱いについて教えて下さい。
 (月刊挑戦者の中の作品には、オノマトペでは)注音を利用している箇所が見られます。注音の使用は漢字の使用にくらべ、読者にどのような印象を与えるのでしょうか?
 さらに、今後様々な表現のうちの一つとして注音がより広く使われるようになる事はあるでしょうか?

正直の話、id:Mattsunさんに聞かれる前に考えたことがなかっ…う〜ん。いや、実は考えたことがあったが、途中から面倒くさくなって逃げてしまった。なにせオノマトペフキダシの中両方の問題であり、だいだい「注音」というのは読み手の目にはどう映っているのかをまず考えないといけない…その分ややこしくなるからな。
質問されて、ようやく直視することにしてみた(してみた!?)
ここで言う中国語マンガについて、まず定義したいと思う。実は自分の独断で言うと、形成の根元から考えれば、現在世界中の漫画を大まかに欧、米、日、中と四種類の文体に分類できると思う。絵画から出発した欧米系文体、挿絵から出発した日中系文体。同じく絵画から出発したが、欧州系は風刺画の精神を引き受けて芸術作品でもある漫画に、米国系はキャラクターを中心にグッズ化したモノに。同じく挿絵から出発し、日系漫画は浮世絵+新聞錦絵+近代風刺画を経て作家性を強調拡大する絵と文が混ぜり合う言語=マンガになり、中国系漫画は逆に政治や時事風刺画が強盛した流れで、絵と文は役割が分明していく絵解き風なモノ(絵を文で解くか、文で絵を解くか)になった。しかし、私と同じような世代が読む漫画は、ほとんど日本のモノであるため、意識して真似しなくても、自然に「日本マンガ」に近い形でしか描けないものだ。よってここの中国語マンガは、中国語「漫画」ではなく、あえて中国語マンガにしてみた。文体自身はどちらかというと日系マンガの文体を引継いでたに違いないが、そこに入れる文字の形と言葉(言語)自体の違いで、また日本の「マンガ」とかなりの違和感が生じ、存在している、そのようなものを指すと思う。
そう、まだ何か違和感が感じるモノだ。それが日本人から見るだけではなく、自分から見ても、何か完成形ではない、発展途中(中途半端?)なモノに見える。中国語マンガにての文字に絡んだ表現*2には、決まったルール、理想的な演出法など、まだ存在していないと、自分は思う。そしてまあ、自分にとって月刊挑戦者は、ある意味その答えを模索すべく舞台でありたい部分もあるが。*3
さて、オノマトペ…特に擬音でよく使う注音について語ってみよう。
中国語の中には、擬音に関する漢字は画数が多いものが大半で、使うと絵がどうしても重くなる。特に噹鏘轟隆唰とかは、よく使うのに画数がめちゃくちゃ多い。たとえば挑戦者四月号で最終回を迎える《飛行倶楽部》の場合、作者によると、注音を利用するのは、単に絵を軽くするための場合が圧倒的だとか。
2004年9月号
 林迺晴
 《飛行倶楽部》二話より
ちょうど上から注音、英字アルファベット、漢字のオノマトペが並ぶ一ページ。
 三コマめの注音は「カン」という音で、擬音を表す漢字はない…強いて言えば「鏘」が一番近い。
 最終コマにある「咻―」は「シュー」と発音。

また、本当は検証していない私見だけど、擬音の画数が多くと、音も重く大きく見える気がするし、メインの絵より目立つようになったり、実に扱いにくい。逆に注音は絵に近いという利点があるので、うまく使うと装飾性さえ持てられる可能性もあるはず。
ただ、注音の欠点として、パッと見ではわかり辛い、組み合わさないと読めないというのもあると思う。例を挙げてみると、去年挑戦者10月号で掲載したLSSの作品(ロボットもの)の擬音は全部注音で、それもかなりうまくスタイルを整えた方だと思うが、なのに私は最初、パッと見ハングルだと思ったよ。情けない話だが。
2004年10月号
 LSS
 《ナイトメア》より
上から「ぱぱぱぱ!ー」、次は「カァ!」「ハァン!」で、最後は「シュッ!」という感じの音を表す。
 「ぱ」には「啪」、「シュ」は「咻」という漢字で表記可能だが、重い絵柄でさらに重い(画数多い)漢字が重ねると、画面が重苦しくなるので、擬音は基本注音で表記すると作者談。

これからは広く使われるかどうかは、現在には確かな答えはたぶん出せないと思う。日本の仮名には彷彿するゆえに、注音の描き方もが洗練していくなら、今の仮名オノマトペに近い形になると気がするが、その使い方は、少し違うモノになるんじゃないかとは思う。また、雰囲気を出すための擬音はカバーできるかもしれないが、少なくとも「どきどき」や「ちょろちょろ」や「シーン」のような一目見て意味が分からないと読み進めない擬態語は、注音で表現するのは難しいだろう。

注音の扱いについて②
また、日本語のマンガは小学校で習う基本的な漢字にも大抵「ふりがな」をつけます。この「ふりがな」にはに本語能力の低下を心配する意見がある反面、小さな子供がマンガに親しむ機会を広げ、将来の「作家候補」を数多く生み出すことに貢献していると考えられます。
このように考えると、台湾マンガに注音が並記されていないことは一定年齢以下の読者を「閉め出し」している、ということにはならないでしょうか?近い将来、読者の年齢層がより広がった場合、注音などの方法で「ふりがな」をつける事はあると思われますか?

と、ふりがなのことを提起してきた。コレについては本当に考えたことがなかった。聞かれるだけでもう驚いてしまった…そうだね、ああ、閉め出してますね。でもよく考えてみると、私の子供の頃から、ずっとこんな感じかな。「国語日報」という、小学生向けの新聞の漫画ぐらいしか、(注音の)ふりがなつけてないような気がするし。児童向けの漫画本なら、確かにみんなふりがなを付けてはいるが、いったん小学生高学年、中学生向けになったら、ふりがなが一気に消えた(ちなみに私も小学五年生で「国語日報」から卒業)。そういえば子供の頃読んでいた海賊版の漫画も、ふりがな付けるのが皆無だし。本当におもしろいことだね。
考えられる原因の一つは、「注音」というシステム自体は民国初年(1911年)以後発明されたモノなので、その前には「注音」が存在していなかったし、注音はあくまでも漢字を覚えさせるための存在であって、補助用、学習用の手段としか見られていないということではないかと思う。よくよく思えば、台湾の駅とかでも、駅名はローマ字の発音が併記されてたものがあっても、注音が併記されるものがないのだ。日本の方から見るとおかしい話だと思うかも知れないが、子供が注音と長く親しめる環境は用意されていない、用意しようと考えていない国かも、台湾は。
もう一つは、少し現実的な話。注音のふりがなをつけるというのは、漢字に振るだけではなく、もう全文に振らないといけないことだ。日本マンガの漢字にふりがなと同じように、小さな仮名が入っても行間が持つではなく、丸々一行の小さな注音が入ったら、行間をもっと広げないと持たないと思う。それでは同じネーム量でも、所要面積が1.5倍になるから、やろうと思っても実行し難しい。ネーム量が少ない児童向け漫画はまたなんとかなるかもしれないが、少しセリフの多い作品になると処理不可能だろう。
以上。ブログにしてはかなりの長文になってしまった…とにかくこんな感じで記録を残しとこう。またいつか擬態語や手書き漢字にも入れて論じてみたいが…今は四月号が優先だorz

*1:中国語アルファベットのこと。今はもしかして台湾でしか使われていないかもしれない。実際外国の方が勉強するにはどうだろうかとは言えないが、パソコンでの入力に限って、個人的には中国大陸のピンインよりずっと使いやすいと思うが。

*2:フキダシ内や外のネームの改行と記述し方、オノマトペ、手書き文字など。

*3:まあ、擬音ひとつで、結構みんなそれぞれだしね。ローマ字と注音と漢字使い分ける人、注音しか使わない人、漢字しか使わない人、擬音をほとんど使わない人…などなど。誰が正解だとは言えないし、まだまだ試す余地があると思う。

elielin

数年前は東京でアニメ制作進行をやってた台北在住の台湾人編集者です。おたくでもギークでもないと思うけど、そう思っているのがお前自身だけだと周りから言われています。時々中野区に出没。

4 件のコメント

  • buttw より:

    恐らく擬音用の注音の形まだ洗練していないかもしれないので、たとえば上記の《ナイトメイア》、この注音を識別するだけで、かなり時間がかかりましたね。まだ慣れていない時期には、漢字より読みやすさが低下しているかもしれません。
    「Y」を「y」の形にするのはまず慣れないし、下の「T」はどうしても「ㄏ」に見えます(実はまさか廃止された注音記号「兀」かなって思いました)。
    どうやら形の洗練化まで、まだまだ先が長い模様です。頑張ってください。

    しかしながら「子供が注音と長く親しめる環境は用意されていない」に関しては、私はおかしくないと思います
    。注音はただの表音記号であり、あくまで漢字の発音の記録、教学のサポートのために設計されていました。(数年前の)教科書では小学三年生から文章の注音がなくなり、一刻も子供を早く注音なしで漢字の書き読みができるようにしたいです(今は教科書の開放により、高学年のテキストまで注音を付けている会社があるようです)。
    アメリカでも、駅の名前に発音記号を付けることはまずありません。

  • elielin より:

    《ナイトメア》の引用については、注音で擬音を表現する一例、そして一方向性としてであり、正解を公表しているわけではありません。まず分かっていただきたいです。
    上の《飛行倶楽部》と比べれば分かりますが、《ナイトメア》は注音を「一個の絵」として処理していて、《飛行倶楽部》の方は文字の面影が残ります。どちらが正解だとはいえないし、buttwさんが自分で言うように「慣れていない時期には」読みにくい、では「慣れてしまえば普通に読める、或いは気にせずに(読み流して)読み進めるようになるのか?」そして「慣れさせるには画面をどう処理すればいいのか?」それこそ気にすべきことで、今後の課題だと思います。よって、引用した一ページの中の「Y」が「y」になっているとか、こういう粗探しみたいなことは、失礼ですが少し不粋な行動だと思いますが。というより知ってますよ。そんなの注音分かる人は見れば分かりますよ、「Y」が「y」にされてるとか。
    注音を法則のある絵にして(フォント化)いますから、ある程度の形の改変は当たりまえですし、多少無理が存在してそこから乗り越えていく覚悟も必要があります。もともと台湾での「注音のフォント」というと、コジックと楷書ベースのモノしかないではありませんか?逆に言うと我々台湾人は、もしかして「バラエティのある注音表現」が知らない、考えたことがないだけかもしてません。これからどんどん考えていくには、多様な表現を求めるのを止めてしまえば終わりだと思いますが。

    また、洗練うんぬんとは個人レベルのことではないんです。私ががんばってもしょうがないんです、正直な話。だいだいLSSに限っていうと、擬音よりまずフキダシの形を整えてほしい、それこそ担当編集としての本音ですが(フキダシの形が未だにその絵に馴染まず違和感を感じまくる私)。
    私見ですが、擬音は読めるより雰囲気作りの方が大事です。読めるけど雰囲気を台無しにする擬音は困りますが、その場面に合わせられる擬音で多少識別辛いのもまあいいじゃないかというのは、現在のスタンスですが…いろいろ経験をつめば、また変わるかもしれませんけど。

    そして「おかしい話」は、日本語の文章で日本のかたを向けて言ってますので、「日本人の感覚ではおかしい話だが」という意味です。も子供の頃からそうやって教われてきた私達は、buttwさんや私はおかしくないと思っていても、注音を仮名と似たような感覚だと取っている日本人は、おかしく思う可能性はあります。まあ、buttwさんがそういうのなら、少し文章の方も誤解を減らすよう、直しときますか!
    ちなみに、現在小学の教科書について。注音が完全になくなるのが小学五年生からです。小学校の先生が実物を見せてくれて確認済みです。

  • buttw より:

    《ナイトメア》はただの方向性の一例だというがわかっています。粗探しするつもりもありませんでしたが、言い方が失礼だったようなのですみませんでした。
    ただ、私は漫画を読むときに、フキダシや擬音、背景の看板・電信柱の文字までじっくり読むタイプなんで、無意識に文字の読みやすさについて素直な感想を書きました。
    美術性と読みやすさは意外に対立なものだと思いました。 別に嫌とか反対とか、それはありません。

  • elielin より:

    ごめんなさい。こちらも少々大人げが無かったんです。でも美術性と読みやすさについて、対立している時もいれば、共存させられる手段もあると思います。「美術性」より、「装飾過剰」の方が読むのを邪魔する気がします。大事なのはやはり「整える」ことでしょう。それもまたそれで奥が深そうで、コツはまだなかなかつかめません(T0T

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