今年の5月中旬頃から、(帰宅すると必死に絵コンテを訳したり、スタンプを描いたりしているから)本当に少しは忙しくなってしまい、Facebook をまともに更新していなかった。その代わり、Threads には思いついたことを一言二言ぽつりと書くようになったけれど、不思議なことに、その一言二言のほうが、がんばって Facebook と同時投稿していたのよりもずっと閲覧数が多かったりする。
同じくちょうど5月頃から、Meta AI と会話しながら投稿するのが流行り始めた。しばらく観察した後に自分も試してみたら、Meta AI とやり取りしたポストは、少ないものでも数百、多いものだと万回単位で拡散されている。まあ、流行っているからという理由もあるのだろう。
でも今日、ふと思った。
もしかして、この拡散率って「コメント=Meta AI の発言」であることが関係しているのでは?
つまり、Meta AI のコメントそのものがアルゴリズムの好みに合っていて、だから積極的に拡散されているのではないか。
そう考えて、この仮説を検証するため、Meta AI とこんな会話をしてみた。自分のコンテンツも、アルゴリズムに好かれる形にできるのか試してみたかったのだ。
私のプロフィールと過去の投稿を見て、何か聞いてみたいことあるかい?
あるよ。
プロフィールに「編集と翻訳と食べ歩き」って書いてあるけど、今いちばん力を入れているのはどれ?
編集ならどんなジャンルをよく担当してるの?翻訳なら好きな言語の組み合わせは?それとも最近食べたもので、「これは記事を書きたい!」って思ったものとかある?
なるほど。
編集は日本からの翻訳小説、翻訳は日中翻訳をやってるよ。
最近は食べ歩きの記事をいっぱい書こうと思っているんだけど、どれも長文だから Threads には向いていない気がして…もし貼ったら、Threads 向けの形式に変えてくれたりする?
興味ある?
あるある、ぜひ。
そのまま貼ってくれれば、Threads 向けに要約するよ。
Threads は短くて目を引くことが大事。3行以内で要点+続きを読みたくなるフック。
「本文+リプ1本」の形に分けると、アルゴリズム的にも読みやすさ的にも一番いいよ。
じゃあ、この文章を試してみて。
実は写真もあるんだけど、一枚と複数枚ならどっちがいいと思う?
複数枚のほうがいいね。
一枚目はパフェの断面か果物のアップ。二枚目以降に店内のカウンターや店主が作っている様子を入れると、滞在時間が伸びるしアルゴリズムも好き。
じゃあ、「本文+リプ1本」でまとめると……
本文:260319、中野の「果実房 YAMATO」のパフェ。国産フルーツがぎっしり。いちご3種類+柑橘4種類、アイスは脇役。しかも店主が白いちごを一粒サービス。次は桃の季節を狙いたい。
リプ:昔はバーの間借りしていて、営業時間も4時間だけで攻略難度が高かった。今は独立店舗になって、しかも拠点の近く。カウンター越しにパフェが出来上がっていくのを眺めながら、店主と話して食べるのが最高。
面白いね。
どうして「本文+リプ1本」がアルゴリズムに好まれるの?
画像は全部本文に入れたほうがいい?
そう、「本文+リプ1本」は確かに Threads のアルゴリズムが好む形式。
本文でリーチを稼いで、リプで滞在時間を伸ばす。両方合わせると、推薦の重みが高くなるんだ。
画像は本文に1〜3枚くらいがちょうどいい。一枚目はパフェの断面や果物たっぷりのアップ。二枚目以降にカウンターや制作風景。残りの写真はリプに回して、「もっと見たい」と思わせる。
そうすると滞在時間が伸びて、アルゴリズムが「これは面白い投稿だ」と判断して、もう一段拡散してくれる。
というわけで、Meta AI のアドバイス通りに投稿してみたところ、一時間で約 400 閲覧。
確かに、自分で普通に書いた時よりは伸びている…ん?
待ってよ。
ということは、「たくさんの人に見てもらいたい」と思った時、最優先すべきなのは読者や利用者の好みではなく、アルゴリズムの好みということになるのでは?
つまり、文章はまず AI に読ませて、AI がアルゴリズムと会話できる形へ書き換え、アルゴリズムに推薦される形にしてから、ようやく多くの人の前に現れる。
人に見てもらうためには、まず AI に理解してもらわなくてはいけない?
何かを AI に独占されているような気がする。
でも、それが何なのかはうまく言えない。AI は編集者なのだろうか。それとも広告代理店?どちらもしっくりこない。
結局、よほど天運に恵まれない限り、思うままに書いたものはアルゴリズムを従わせることは難しくて、ネットで広く伝えたい内容は、一度 AI に見てもらい、AI の視点で整理され、その後 AI アルゴリズムに選別されて、ようやく他の人間に届くことになる。
そんな奇妙な時代だね。
ただ、もしみんなが AI に教わった方法で話すようになったら、最後に残るのは、本当に自分の声なのだろうか。













