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「台湾独立」と聞くと、多くの人がまず「中国からの独立」を連想するが、その背後には思った以上に複雑な話がある。たとえるのなら、「一人暮らしを始める」と言う前に、自分が実家から出るのか、友達とのシェアハウスから出るのか、それとも最初からダンボール箱だけで暮らしているのかをはっきりさせるようなものだ。自分が今どこに住んでいるのかすら分からないのに、果たしてどこに引っ越せるというのだろうか?

中華人民共和国からの独立?それとも中華民国からの独立?

多くの人、特に外国人が「台湾独立」と聞くと、台湾が中国から独立しようとしていると考え、その「中国」を中華人民共和国(つまり北京政府)のことだと思い込む。そして、弱小のエビが巨大なクジラに立ち向かうかのようなイメージを抱き、台湾に同情的な視線を向ける。中にはそうした注目を享受する台湾人もいる。しかし、現実には台湾は一度たりとも中華人民共和国に統治されたことがない。1949 年以降、国民党政府は台湾に撤退し、北京政府は大陸から「統一」を叫び続けているが、実際に台湾にやって来たことも統治したこともない。

つまり、台湾独立とは中華人民共和国からの独立を意味するものではないのだ。台湾人も含め、多くの人がこれを誤解している。

では、台湾は一体どこから独立しようとしているのか?ここからが少し複雑な話。まず現在、「台湾」は中華民国という名称とその枠組みで回っているけど、中華民国の憲法には「中国固有の領域は大陸地域を含む」と明記されている。これにより、台湾独立の支持者たちにとって、中華民国という名称やその枠組み自体が「大中國」(大いなる中華圏)的な要素を帯び、あるいは中華人民共和国と綺麗さっぱりに分断されなかったため、北京政府がしつこく「統一」を主張し続ける原因だと見なされている。そのため、中華民国を完全に捨てて、「台湾」という名前の新しい国家を設立し、国旗も再設計し、憲法も現在の状況に基づいて書き直すべきだと考える。

すなわち、台湾独立を支持する人々が目指しているのは「中華民国からの独立」なのだ。そして、捨てられた中華民国をどのように扱うかは、彼らの関心の範囲外にある。しかし明らかなのは、中華民国を放棄するという行為が、中華人民共和国の「認親」(血縁など親しい関係を認めてつきあう)を拒絶する宣言に等しく、北京政府に対して「おい、もう私たちを『家族』だなんて言わないで!誰かあんたらと家族なんか!」と突きつけることだ。実行されれば、これまで「両岸一家親」(中国大陸と台湾の人々の間には血縁のつながりがあると、ひとつの家族のように捉えるべきだ)の名目で享受してきた利益はすべて失われ、さらには台湾を親近感=統一対象と見なすことを放棄した北京政府が、軍事的にどのような対応を取るかは想像もつかない。

さらに言えば、北京政府がどう対応するにせよ、名目と枠組みが七十年以上にわたって台湾で実質的に動かしている現在、中華民国は既に「台湾」と融合したテセウスの船のような存在となっており、それを捨てることは現実的な選択肢とは言えない。

「一つの中国」が二つある?

「一つの中国が二つある」と聞いて、多くの人は困惑するだろう。「どういうこと?『一つ』の中国なのに、どうして『二つ』もあるの?」実は、これは中華人民共和国と中華民国の間で七十年以上続いてきた微妙なズレを象徴している。両者はそれぞれが「中国」を代表すると主張しているけど、問題はその「中国」という言葉に対する解釈が全く異なる点にある。中華人民共和国には中華人民共和国の「一つの中国」があり、中華民国には中華民国の「一つの中国」がある。同じ「一つの中国」と書いて、その意味は全く異なるのだ。

中華人民共和国(北京政府)が定義する「一つの中国」は非常に単純明快である。「中国とは中華人民共和国を指し、この国家は大陸、香港、マカオ、そして台湾を含む」というものだ。これがすべてである。彼らの主張によれば、台湾は中国の一部であり、ただ一時的に統一されていないだけだという。北京政府は国際的な場でもこの主張を繰り返し、他国に対して「一つの中国の原則」、すなわち中華人民共和国が唯一の中国の代表であることを認めるようと求め続けている。1970 年代から現在に至るまで、中国はこの「一つの中国」を頑なに守っている。

かたや中華民国(台湾政府)の「一つの中国」はより複雑である。1949 年以前、中華民国は中国大陸全土を統治していた。しかし、国共内戦で敗北し、台湾に撤退せざるを得なかった。台湾に移った国民政府は「中国である」という立場を捨てず、「台湾に一時的にいるだけだ」と主張し続けた。したがって、台湾政府も「一つの中国」を掲げているが、その中国は「中華民国」を代表とし、具体的には次のように定義されている。「一つの中国とは、1912 年に成立した中華民国を指す。その主権は中国全土に及ぶが、現時点で統治権が及ぶのは台湾、澎湖、金門、馬祖のみ。台湾は中国の一部であるが、大陸もまた中国の一部である」。北京政府の「一つの中国」と比べて、この主張は非常に屈折したように見える。

簡単に言えば、かつて街に一軒だけあった老舗のラーメン屋があり、そのオーナーが追放されて、別の小さなラーメン屋を開いたようなものだ。どちらも自分こそが正統なラーメン屋だと主張し、さらに相手のラーメン屋も自分のものだと考えており、いずれ取り戻すつもりでいる。老舗のラーメン屋は小さなラーメン屋を自分のものだと言い、近隣住民からもその主張が比較的支持されている。一方、小さなラーメン屋は老舗ラーメン屋を自分のものだと言うが、説得力に欠けているのが現状だ。最近では自分の小さなラーメン屋の経営に集中したい気持ちが強いが、老舗ラーメン屋と合意に至ることはできていないのだ。

「九二共識」からすでに三十年

もっとも、「合意に至ることはできていない」と一概に言うのも正確ではない。歴史上、互いに相容れないように見えるこの二つの「一つの中国」の主張が交わった瞬間は、確かに存在していた。1992 年に両岸で行われた会談では、「一中各表」という概念が提案された——双方が「一つの中国」という原則を認めるが、この「中国」の解釈はそれぞれ異なってよい、というものだった。北京政府は「中国」を中華人民共和国と解釈し、台湾政府は「中国」を中華民国と解釈することができたのだ。

またラーメン屋でたとえると、「どちらのラーメン屋も皆のものである」とだけ認め合い、「両方が自分のものである」とそれぞれが主張してもよい、というようなものだ。

正直に言って、まるでシュレディンガーの合意だ。あまりにも曖昧すぎる。しかし、この曖昧さこそが、当面の間、両岸のさらなる論争を回避する助けとなり、少なくとも表面的には共通の前提を築いたように見せかけることができた。

政治というものは本当に難解だ。

だが、時が経つにつれ、この前提も時代遅れになっていった。

冒頭で述べたように、北京政府の統治は台湾には及んでいない。1949 年以来、台湾は住民、政府、外交政策を持ち、憲法においての領土範囲が明確でないとはいえ、台澎金馬には軍隊が駐留し、国家としての条件を十分に備えている。それにもかかわらず、数十年もの間、一つの国家として扱われず、「政治實體」(政治的実体。Political entity)という言葉を発明して自らの存在を説明する必要に迫られてきた。

まさに窮屈にありはしない状態なのだ。さらに、中国の経済力と軍事力が台頭し、北京政府の国際社会への影響力が増すにつれ、台湾政府の国際的な活動は縮小傾向になり、影響力はますます弱まっている。その一方で、1980 年代末の「戒厳令」解除の後に始まった「本土化運動」は、文化、政治、社会、教育の各方面に広がりを見せた。台湾が海外において「大中国としての中華民国」という姿勢を維持することはますます困難になり、九二共識以降の三十年間、台湾の人々の考えはますます内向きになり、「小さな台湾」としてのアイデンティティが固まっていった。

その結果、多くの台湾人、特に若い人はこの「九二共識」という、合意のない合意を理解できなくなり、あるいは理解したくなくなった。「誰が本当の中国か」を議論し続けるよりも、「台湾は台湾だ」と直接的に強調した方がよいと思うようになったのだ。

統一を望まない限り

では、中華民國と中華人民共和國が、現在 2024 年の実情を踏まえて冷静に話し合うことはできないのだろうかと、それが非常に難しいのだ。北京政府は今なお七十年間守り続けてきた「一つの中国」という立場を堅持しており、台湾政府が大中国の一部として、三十年前の九二共識をもとに「誰が中国か」という議題を共に議論することを求めている。しかし李登輝、陳水扁、蔡英文と、この三人の台湾総統を経た台湾政府は、明らかに北京政府と「誰が中国か」を議論したがらなくなっている。さらに、この三十年間、民進党の政権による「內耗」(内部の対立によって引き起こされたエネルギーロス)の影響で、中華民國の国力は低下し、かつての水準には程遠く、蔡英文政権下では外交関係もほぼ壊滅状態に陥っている。この状況で北京政府と「誰が中国か」を議論するということは、統一されることを備えるのと同義である。

では、統一するのを望まない場合はどうなるのか。

1991年、台湾政府は李登輝政権下で『国家統一綱領』を可決し、1981年に蔣経國が提唱した「三民主義統一中國」(三民主義による中国統一)政策に代わるものとして「終極統一」(今は別々でも最終的には統一する)という表現を採用。「一個中國,兩個政治實體」(一つの中国、二つの政治主体)を軸に、「特殊的國與國關係」(特殊な国と国の関係。中国からは「兩國論」(二国論)と呼ばれる)、「階段性兩個中國」(段階的な二つの中国)、「海峽兩岸分裂分治」(台湾海峡に挟んでの分裂と分離)、「海峽兩岸互不隸屬」(台湾海峡に挟んでの領域は互いに隷属しない)など、たくさんの政治用語が生み出された。北京政府および国際社会に対して台湾政府の主権独立性=北京政府の支配を受けたことがないという点を強調し、「中華民國」が「中国」のイメージから脱却することを目指した。しかし、「二国論」は北京政府の激しい反発を招き、明らかな分裂発言と見なされた。これ以降、中台関係は長期的な緊張状態に入ることとなった。

陳水扁は李登輝時代の台湾本土化路線を継承したが、2002年に「一邊一國」(台湾と中国はそれぞれ別の国である)という論述を提唱し、次のように明言した。「台湾は台湾、中国は中国、両者は互いに隷属しない」。この発言は中台関係を完全に分裂した状態とし、「一つの中国」という枠組みを否定するもので、九二共識を否定する行為と見なされたため、北京政府はこれを露骨な台湾独立と認識した。国際社会に対しても、陳水扁は台湾の主権を強化するために度々住民投票を推進し、台湾の国際的な認知度を高めようと試みたが、これらの動きはアメリカや北京政府の警戒を招き、中台関係は一層緊迫化した。

ここまでくると、北京政府の態度がはっきりと見えてくる——台湾政府が中国を代表しようとすれば、それは分裂行為と見なされる。台湾政府が中国を代表したくないとすれば、それもまた分裂行為とされる。「兩國論」を語れば、それは「二つの中国」を目指す分裂行為として拒絶され、何も議論できなくなる。「一邊一國」を語れば、それは「一つの中国と一つの台湾」として独立を目指す行為とされ、ミサイルで対処すると脅される。

統一を望まない限り、それは分裂行為であり、独立を目指す行為と見なされるのだ。

曖昧な領域を行き来する

2008 年に就任した馬英九は、中台関係を現実的に対処する方針を選択した。任期中に「九二共識」への支持を再確認し、曖昧な「一中各表」に回帰して両岸交流の基盤とした。政治的には九二共識が時代遅れであるため、依然として議論が進みにくかったが、経済面では歴史的な制約が少なかった。馬英九政権下では、台湾政府は北京政府と『海峡両岸経済協力枠組協議』(ECFA)を含む数々の経済貿易協定を締結し、経済面での交流が密接化した。しかし、この親中路線は台湾国内で議論を呼び、最終的には「太陽花學運」(ひまわり学生運動)の勃発に至った。経済的な接近が台湾の主権を損なう恐れがあるとして、それが統一への道筋だと多くの人は懸念した。

「台湾は台湾だ」と考え、「中国」との関係を断ち切りたいと思う人々は、ますます増えている。

こうした雰囲気の中で当選した蔡英文は、「九二共識」を「一國兩制」(一国二制度)と同義だと見なして受け入れを拒否し、「中華民国台湾」は「主権独立した国家」であり、その現状を一方的に変更することは許されないと主張。この立場は一見とても強く見えるが、実際には「維持現狀」(現状維持)に過ぎない。統一を積極的に進めるわけでもなく、独立を宣言するわけでもない。アメリカの中台問題における「戰略模糊」(戦略的曖昧さ)の立場をうまく利用し、九二共識とは異なる曖昧さの中で民主主義を宣伝の主軸に据えた。内政では台湾人の主体性を強化し、外交では日本やアメリカとの関係を強化する努力を続けた——その過程で十ヵ国との国交を失ったものの、国際的な認知度を大きく向上させた。しかし、北京政府から見れば、蔡英文の政策は実質的な台湾独立に近づいているとみなされ、台湾への軍事的圧力や外交的孤立化がエスカレートした。馬英九政権下で相談可能だったことも、全て不可能になった。

蔡英文の後任として、2024 年に頼清徳が新たな総統に就任した。頼清徳は過去に「務實的台獨工作者」(現実的な台湾独立推進者)と自称したことがあり、そのため選挙期間中に両岸政策に対する多くの疑問に直面した。しかし、総統としての頼清徳は、中台関係について明らかに慎重な姿勢を取っている。蔡英文の「現状維持」政策を踏襲する一方で、「中華民国台湾」の主権が決して侵すことが許せないと、いかなる形式の統一の前提も拒否するのを強調している。

既に述べたように、統一を望まない限り、それは分裂行為であり、台湾独立を目指す行為と見なされる。そのため、北京政府は頼清徳の政策を高度に警戒し、台湾独立路線の延長線上にあると見なしている。台湾に対する軍事演習や外交的孤立化の圧力は緩和されるどころか、一層過激化している。

馬英九の「一中各表」、蔡英文の「現状維持」、頼清徳の主権堅持と独立への言及を回避しない姿勢——これらは台湾人のアイデンティティの変化を反映しており、北京政府のレッドラインに徐々に近づいているように見える。曖昧さはかつて緩和の手段であったが、現在での対立が激化する情勢では、曖昧な領域がますます狭まっている。

台湾の未来はどうなるのか?

ここ数十年の台湾における対中政策を振り返ると、そのトーンがおよそ十年ごとに変わる変わる。時には曖昧さを保ち、時には率直に語られるが、常には一つの核心的な問題に行き着く——台湾は一体どこへ向かうべきなのか?

一方、北京政府の態度は一貫して変わらない。「中国は一つだけであり、台湾はその一部」だけだ。台湾側がどのような主張をしてきても、北京政府は台湾独立や分裂の動きと見なすと即座に「一戦も辞さない」という姿勢を見せる。

だが現実を見れば、台湾には既に自らの政府、軍隊、通貨があり、さらには総統選挙まで行われている。これが国家でなくて何だというのだろう。しかし、国際社会の多くの国々は「台湾は国家だ」と明言することを恐れ、台湾は今なお「政治的実体」という曖昧な言葉を頼りに、国際社会の曖昧な空間で生き延びている状況だ。同時に、本土化運動や両岸関係の緊張の中で、台湾人の自己認識は徐々に強まり、中国大陸への親近感は次第に低下している。「台湾は台湾だ」と声を上げたい衝動がますます強まっているように見える。

このままでは、台湾の未来はどうなるのだろうか?

もしかすると、台湾政府はいつか、自分たちが何であるかをより明確に表現する日が来るかもしれない。「中華民国」という名義を使うにせよ、「台湾」という名を掲げるにせよ、あるいは思い切って「神聖サツマイモ帝国」と名乗るにせよ、それは大きな冒険となるだろう。なぜなら、北京政府が黙って見過ごすはずがないからだ。

あるいは、台湾政府は現状維持を続け、北京政府のレッドラインと国際社会の支持の間を器用に渡り歩きながら、曖昧な空間を模索し続けて生存を図るかもしれない。

または、音もなく突然に統一が訪れる。

結局のところ、台湾政府が本当に成すべきことは、生存しながらも尊厳を保つ道をどう見つけるかである。この道をどう進むのか、世界は注視している。望めば、台湾政府が自分自身にもっと正直になり、一歩一歩を着実に進めることだ。

elielin

数年前は東京でアニメ制作進行をやってた台北在住の台湾人編集者です。おたくでもギークでもないと思うけど、そう思っているのがお前自身だけだと周りから言われています。時々中野区に出没。

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