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乱筆乱文など

遥かなる民主国【上】

  2008/3/297月 7th, 2022コメントなし

遥かなる甲子園』をもじってみた。いい作品だからみんな読んでくれ。小学館の文庫版より双葉社のアクションコミックス版の表紙が好きだが入手困難に泣く。
本題。久しぶりに台湾の政治ネタを一つ。サブカル関連記事を読みたい方ごめんなさい。でも本音を言うとこういうネタは扱いにくいので、実はあまり取り上げたくないんだが。いろいろ吐き出したいこともあり、今日も台湾の「青年の日」だし、一青年として思考の整理も兼ねやはり書き出してみることにした(苦笑)
4月号雑誌の編集作業の追い込み中、日本のテレビ番組制作会社の方から、この間の台湾総統選挙の取材の下調べを協力したお礼に、放送の映像を入ったDVDを頂いた。その時はちょうど切羽詰ってる状態なので、今日になってやっと見た。
テレビ朝日の『サンデープロジェクト』の特集に使われる映像で、ぜいぜい10分間ぐらいと思ったらなんとたっぷり30分間もある。こんなに重要視されてることにまずびっくり*1。中には街頭インタビューから立候補本人のインタビューまであって、すごく力を入ってるなと思った。そして、日本の方から見た台湾の現状が見れて、民主が進んで民度高いなどとコメンテーターに言われてオイオイ過大評価だよと思いつつも、面白かったと思う。
過大評価と言うのは、ここ十何年間台湾で起きているのは、まだ民主そのものではなく、ただの民主への過程であって、しかも今はまだ民主と言える状態に到達していない。ここで諸外国から「進んでる」とか「すばらしい」とか言われてたから、いらん増長が目に余る。
そもそも「民主(Democracy)」の概念はヨーロッパ起源で、欧米だって時間と社会資源をたくさんかけて消化し形を成せたものであって、善良な独裁を頼る中華文化を基づいてる華人社会に溶け込ませる(定着させる)のは、さらに時間と資源がかかると思うし、そしてどんなにかかっても不具合が出るはず。その不具合の修正はまだ時間と資源かかる…そして、その「民主と言える状態」に達すのが先か、資源が使い果たすのが先かどっちになると思うが。
もちろん、時間と資源を消耗する過程の中で、時間を効率に使い、資源を消耗した量と同等もしくはそれ以上に作り出し続ければ問題はないんだが。そこで台湾はこの20年近くの間*2、千万単位の人々の貴重な人生を、80年代末までに累積した社会資源をふんだんに使い、前例のない華人社会の民主化大実験を行い続けた。
2000年までには多くの資源が政治的な整理に使われたが、言論の自由がかつてないほど得て、外交も半端鎖国状態から開放され、外国とのビジネス展開も広げた。それに伴い資源も生産補給がある程度出来て、バランスが取れてた。ただ、李登輝の在任中では蒋経国ほどに経済的(社会資源的)に有利な基礎建設は行えず、そのツケが次の陳水扁の時代に回っていた。
年明けの国会議員選の結果を受け、民進党から人心が背離する原因について、日本の多くの分析は「陳水扁一家の金銭スキャンダル」を挙げたが、私見ではあれは台湾マスコミが煽った表面的な結果に過ぎない。汚職や公費の不正利用は、台湾というより華人の文化みたいなもので、総統や公職者の潔白を拘るのではなく、「指定した金額は渡したのに約束通りに動いてくれない」こそ、マスコミが金銭スキャンダルばかり注目し、背離に導く原因だった。
自分の記憶が確かであれば、昔の李登輝時代でも公職者は賄賂…ではなく関節の折衝代?みたいのを普通に要求しもらってた。ただあの時には非常に制度化されて、権限によって相場も存在していた。つまり値段ははっきりしているし、ビジネス感覚だったらしい。2000年以後の民進党政府に対し、もちろん「もう金を献上しなくても普通に動いてくれるだろう」と期待していたが、現実に企業主もそう簡単ではないと知っていて、民進党政府の公職者から金を要求されてきても、払うつもりだった。なのに蓋開けてみると、賄賂をせびる勢いは昔よりもっと強く、国民党政府以来の相場が崩壊し、大金を要求しといてもらったら知らん振り、のがしばしばだった。これもまた長年に渡り、企業主の反感を買ってきた。
企業主が持つのも一票、無職者が持つのも一票のような、いつでも選挙の勝ち負けを念頭に置く考え方は、民進党がまだ力なき野党の時はいいが、さすがに政権を握っててもそう考えるのがまずかった。
そして、2000年までの李登輝の時代は「民主を試して社会資源を増やしてみよう(台湾本位で考えよう、みんな台湾人だから)」な感覚だったが、陳水扁の時代はどこか「民主のためにすべての資源を注ぎ込め(台湾本位で考えろ、さもないと台湾人じゃない)」な感じだった。民のために求めた民主主義で民を束縛し、本末転倒な政策が中国への投資・流通を不当に言えるほどに制限、意味不明な奨励*3が少ない資源*4をさらに無駄使い、台湾経済を担う貿易の往来のあるべく流れを拗らせた。
で、反感がついに限界まで達した企業主のことだけど、この人たちは既得利益者で少数派だと思うかもしれないが、台湾は97%以上の会社は中小企業だと言われ、社長(企業主)の人数は実にバカにならない。そして自営業やミニ企業が倒産しなくても、利益が得なくて店を畳むことが増え、それによって失業した者にも、不満が生じるのだろう。
経済面で民進党からの背離を説明すると、こういう背景だったかも。
またこの十数年、「民主」の意味が密かにすり替えられていた感じがする。私が中学生の頃に勉強した「民主」というのは「由人民主導的統治(人民が主導する統治)」だったが、いつの間に「由人民作主的統治(人民はご主人さまの統治)」になった。別に民進党だけではなく、党派に関係なく選挙の熱に浮かばれた政治家や政治業者が揃ってすり替えしたと思う。これは実にヤバイ。なぜなら人民はご主人さまだったら、一体誰かその下僕なのか?
差別が生むわけだ。一般市民が公職者を差別し、公職者が一般市民を差別し、本省人外省人を差別し、外省人本省人を差別する。原住民、外国人労働者、中国人、障害者、人々を搾取する資本家、圧迫され続ける労働者、ありとあらゆる者にレッテルが貼られた。グリーンかブルーかで二者択一、結局しょせん勝者は王(ご主人さま)となり、敗者は奴隷(下僕)になるという、帝政で独裁の時代での考え方で民主の枠になぞるだけ。みんな勝者(多数)になるのを必死に、そして敗者(少数)と決め付けた人たちへの尊重を忘れていく。
そして、しょうもないほど質が低下しているマスコミが煽り、「ご主人さまを苦しめた下僕は何事だ」や「昏君*5陳水扁を降ろせば(殺せば?)すべて良くなる」*6のような、なんかしらの宗教っぽい感じに。もともと台湾の選挙などの政治活動は未だに宗教っぽかったし。
その何かを成すために一票を投じるのではなく、誰かに罰を与えるため、誰かに不満を訴えるため、誰かの自惚れの理想を成就させないために君の手にある一票を武器に戦おうぜ、のような雰囲気は、百歩千歩譲っても進んでる民主だとは私は言えない。
なんか散々書いておいてまだ半分しか書いてないよ…つかれたので後半はまた明日。

*1:単純に『サンデープロジェクト』だから長いとも思うけど。

*2:素人の見解だが、李登輝が1991年5月に実質の超長期戒厳令(38年も及ぶ)である「動員戡乱時期臨時条款」を廃止してから数えるのが適当のではないかと。その時の私は15才、中三で高校受験が控えてた時期だった。

*3:ある種の「分贓」(不正利益の山分け)とも言える。特定の業界で活動する人々の選挙時の支持を得るため、もしくは支持されたからのため、とりあえず法律を作って賞金や助成金などの名目で金を与え、成果や結果のチェックについては非常に甘くて緩い。2000年以後政府主催のマンガ関連の賞や奨励が多いのは、この側面があったともい思われる。

*4:90年代基礎建設を怠って、高速鉄路建設の延遅や空港などの建設が無計画、さらに国内インターネットのハード整備が未だに進まず。いろいろと遅れているし、消耗した分を足す資源が生み出せない。

*5:愚かな君主。台湾のマスコミはよく総統である陳水扁一家をまるで昔の皇帝一家のように仕立てる。陳総統の娘を「公主(姫)」と呼び、その夫を「駙馬(皇帝の婿)」と呼ぶ。そして3月22日馬英九氏が当選したと決めた途端、その二人の娘も姫だと呼ばわり始める。台湾は民主の形だけを取っているけど、思考回路はまだまだ帝政から脱却していない証明でもあるかもしれない。

*6:この二つの考え方はかなり矛盾しているが、なぜか台湾では共存できてた。

elielin

数年前は東京でアニメ制作進行をやってた台北在住の台湾人編集者です。おたくでもギークでもないと思うけど、そう思っているのがお前自身だけだと周りから言われています。時々中野区に出没。

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