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about乱筆乱文など

サル【下】

  2003/8/66月 9th, 2022コメントなし

店に入った瞬間、すぐ女将さんの恐怖を混ぜた好奇な眼差しに見舞われました。僕はよくこの店でパンを買っていて、女将さんとも初対面の訳ではないのに、このような睨み方をされるとは実に不愉快。ああわかった、パンを買りゃいいんだろう、と思い、僕は棚からトーストを取り、カウンターに持っていきました。
「お願いします。」
「あ…あの…トーストですか…」
女将さんは怯えている様子で言葉を絞り出し、
「本当に申し訳ありませんが。あなたには売れません…。」



と、女将さんは少し顔を上げ、僕の方にじっと見つめました。
「サルにパンを売ってはいけません…うちのパンは人間のお客様のために作られていますので…」
僕は言葉を失いました。
「もしそんなにトースト食べたいのなら…」
まるで覚悟でも決めたように、女将さんは無理のある微笑を整えながら、
「タナカさんに言ってごらん。タナカさんがいいって言ってくれたら、貴方専用のパンは作ってあげますよ。」
またあのタナカか!アイツは一体なんなんだよ!込み上げてくる怒りを必死に抑えて、僕は黙ってカウンターを離れ、店から出ました。
そのあと、「ペットの立ち入りは困ります」という理由で喫茶店の入店に断わられ、本屋も蕎麦屋も似たような理由で僕を追い出しました。さらにお金を下ろそうと思ってATMに立ち寄ったら、銀行口座も止められたことが告げられました…本当におかしいな話、一日前まで僕は何処へでも行けたのに、なぜ一日で何処へ行ってもサル扱いにされなければいけないのでしょう?キーワードはもちろん例の「タナカさん」なんですが、なのに僕はアイツの素性も何も知りません。いずれにしても、あの日の僕は肉体的にも精神的にも疲れました。特に彼女へ何回も電話をかけたのに、ずっと留守電だったという現実に対し、僕はこれまでのない無力感を感じました。
しかし悪夢はこれで醒めることはありませんでした。家に着いて部屋に入ろうと、いつものようにドアを開けようとしたら、カギはどうしても鍵穴に差し込めないのです。よく見ると、部屋の錠はなぜか新しく取り替えられていました。いくらなんでもこれはないんだろう!と、怒り心頭の僕は下の階に住んでいる大家さんの所へ抗議しに行きましたが、大家さんからの返事はまた驚きのものでした。
「君がサルだということがわかったからには、これ以上部屋を貸す訳にはいかないんだろう!」
これが理由か?これが僕をここまで追い詰める理由なのか?僕は必死に自分は人間だとドア越しに説明してみましたが、その訴えは全く無視され、大家さんからの返事もなく、ドアも堅く閉じたままでした。
夜。刺々しい視線に慣れ始めた僕は道端に座り、もともとは僕もいるはずだった街並みを眺めていました。
まさにその時、ここ二日間ずっと探していた彼女が、唐突に僕の目の前に現れました。「ああ…」僕の目じりが一気に熱くなり、思わず乾燥した喉から擦れた声が漏れました。彼女は優しく僕の頭をなで、水の入ったボトルを僕に差し出しました。
「飲んで。」
僕は涙を堪えながら、ごくごくと水を飲みました。
「かわいそうに、おなか空いたんでしょう?」
と言いながら、彼女はカバンの中からバナナを取り出しました…。
バナナ?
「さあ、あなたの大好きなバナナだよ。」
微笑んでいる彼女を見て、僕は周りの空気が凍っていく音が聞えました。
「あなたがサルだったなんて全然知らなかったわ…」
彼女は笑いながら、
「いやだわ、危うくあなたを本気に愛してしまうところだったよ。あなたはなんて賢いサルでしょう!」
僕の残りわずかの理性もここで崩れてしまいました。
「あああああああああああああああああああああああああああッ!」
発狂したように僕は叫びました。彼女の差し出したバナナを振り払い、僕は猛然と立ちあがって走り出しました。
どれぐらい走っていたのか、どこに向かって走っていたのか、僕も全くわかりませんでした。ただひたすらに走っていました。この訳のわからない事態から離れたかった、人間とサルも区別できない人々がいない所まで走って行きたかったのです。全ては夢の中の出来事だったと思いたかったが、顔に当たってくる冷たい空気と、強烈な空腹感はその思いを見事に否定していました。でも、これは夢ではなかったら、一体なんなのでしょうか?
「現実だよ。」
脳内で轟く心臓の鼓動と荒い息づきのほかに、またあの耳障りな声が聞えてしまいました。そう、あの「タナカさん」の声でした。
「や…やはり…おまえの仕業だよな…。」
息が切れて、声を出すのはやっとの状態でした。
「そうだよ。でも、わしはだた事実をみんなに伝えただけだ。」
「じ…事実だと…?」
息をするのがますますつらくなってきました。
「お前がわしの飼い猿だという事実だよ。」
「ふざけるな!」
僕は最後の力を振り絞り、大声で叫びました。
「僕は一日だって貴様に飼われたことはない!僕は自分の生活を、自分の人生を、自分で生きてきた!貴様とかかわったことはなかった!まして飼われたなんて…ありもしない話を適当に言うな!」
「でもみんなはお前のことをサルだと思っている。しかもわしの飼い猿でな。」
「それは貴様があんなデマを流したからだ!」
「デマ?デマで人は人間をサルに間違われるとでも思うのか?」
「な…何を言う…」
「お前が人間でサルではなければ、わしが何を言おうと誰も相手にしてくれないはずだ。しかし現にわしがお前はサルだと言ってたら、みんな揃ってお前のことをサルだと言う。これはどういうことだというと…」
ヤツは得意げににやりと笑いを見せ、 
「お前は最初から人間ではなく、サルだったということだ。」
「だまれ!」
詭弁だとわかっていても、やはり頭が痛くなります。
「さあ、思い出してみ、お前の彼女さえお前のことをサルだと思っているんではないか?それでも自分はサルではないと主張できるのか?」
やばい…こう言われた僕は、今まで経験したことのない眩暈に襲われました。
「意地張らずに現実を認めなさい。うちに来てわしの飼い猿になれ。悪いことは言わないからさ。」
ヤツは手元のあるチェーンを少し引っ張り、僕もこれで初めて、その後ろにいる人影の存在を気づきました。
「ほら、コンちゃんみたいに大人しく、飼われてハッピーなサルになれば、毎日幸せだよ。」
あの「コンちゃん」と呼ばれた人影は、ヤツのセリフと同時に一歩前に出てました。「コンちゃん」は何も身に着けていない素っ裸で、首に赤い首輪をしていました。その赤い首輪に繋ぐチェーンを、あの悪魔が握っていました。
そして「コンちゃん」は僕の方を見て、笑った。
ギギ―!
その後のことは、僕はあまり覚えていません。僕はもう何も考えない、何も考えられない、何も考えたくないんです。
(おわり)

elielin

数年前は東京でアニメ制作進行をやってた台北在住の台湾人編集者です。おたくでもギークでもないと思うけど、そう思っているのがお前自身だけだと周りから言われています。時々中野区に出没。

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